1973年、トッシュは自身のレーベル「Intel-Diplo HIM」を立ち上げる。Intel-Diplo HIMとは「Intelligent Diplomat for His Imperial Majesty(皇帝陛下の諜報外交官)」の略称であった。1976年、CBSレコード社から、ピーター・トッシュ名義で、ソロのデビューアルバム、『リーガライズ・イット (Legalize It)』(邦題:『解禁せよ』)をリリースした。そのタイトルを象徴するように、アルバムのジャケットではトッシュが大麻の畑でマリファナを燻らせている姿を撮った写真が使われている。また、タイトルトラックは、すぐにガンジャ解放運動の聖歌的楽曲となった。ボブ・マーリーが『ワン・ラブ』のメッセージを説く一方で、トッシュは偽善的な「shitstem」(システム)を罵倒し、ジャマイカ警察の標的となる。
1978年にはローリング・ストーンズのアメリカ・ツアーでオープニングアクトを務めた。同年、ローリング・ストーンズ・レコード移籍第1弾アルバム『ブッシュ・ドクター』をリリースし、同アルバムからのシングル「ドント・ルック・バック」(テンプテーションズのカヴァー)はミック・ジャガーとのデュエットが話題を呼んで、オランダのシングル・チャートで1位を獲得し、アメリカのBillboard Hot 100では81位を記録した。トッシュはその後も、マーリーとは全く異なったアプローチで自身のメッセージを発信し続けた。