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Amy Winehouse( エイミー・ワインハウス )



アルバムリスト
歌手の紹介


エイミー・ワインハウス(Amy Winehouse、本名:Amy Jade Winehouse(エイミー・ジェイド・ワインハウス)、1983年9月14日 - 2011年7月23日)は、イギリスのソウルミュージック、ジャズ、R&Bのシンガーソングライター。

来歴
生い立ち

ミドルセックス州エンフィールドにて、ユダヤ人の両親のもとに生まれる。父親は元タクシー運転手で2010年6月にジャズ歌手に転向したミッチ・ワインハウス、母親は薬剤師。母方の叔父はミュージシャン。16歳の時に演劇学校の退学処分を受ける。この時のクラスメイトであった歌手タイラー・ジェイムスのレコード会社にデモ・テープを送り、アイランド・レコードと契約を結ぶ。
キャリア

2003年にアルバム『フランク』をリリースしてデビュー。英国内で67万枚を超えるヒットとなり、一躍トップスターの一人となる。1960年代の初期ソウルミュージックを思わせる生演奏のバンドを従え、ビリー・ホリデイのようなハスキーな歌唱が持ち味である。

2006年のアルバム『バック・トゥ・ブラック』も高い評価を受け、全英で1位(全米では7位)を記録した。ブリット・アウォーズでは、最優秀女性ソロ・アーティストに輝いた。その後もヒットを続け、翌2007年に全英で最も売れたアルバムとなった。

薬物中毒やアルコール依存症など、スキャンダラスな人物でもあり、2007年8月に夫と共に飲酒・薬物のリハビリ施設に入所、2008年1月24日には再びリハビリ施設に入所。グラミー賞を受賞した「リハブ」はリハビリ施設へ入所した自身の体験を元にしている。

2008年の第50回グラミー賞ではカニエ・ウェストの8部門に次ぐ主要4部門を含む6部門でノミネートされ、最優秀新人賞や最優秀楽曲賞など5部門を受賞。当初は授賞式への参加を表明していたが、アメリカに入国する為に必要なビザ発行を拒否され、授賞式に出席できないことが同年2月7日に担当広報から明かされた。そのため、イギリスからの衛星中継で出演した。グラミー賞後、『バック・トゥ・ブラック』が大反響からか全米2位まで上昇した。

その後もリハビリ施設への入退院などを繰り返しキャリアは停滞したものの、マーク・ロンソンらと共に3作目のアルバムを完成させたと言われる。

2011年6月、本格的な復帰を目指してヨーロッパ・ツアーを開始。しかし18日、セルビアのベオグラードで開催された約2万人の聴衆を集めた野外コンサートで、開始時間を大幅に遅れて、泥酔しまともに歌うこともできない状態で登場した。歌を途中で何度も中断するなどしたため、観客からブーイングを浴び、地元紙にも「ディザスター(災厄)」「史上最悪のコンサート」などと扱き下ろされた。45ユーロ(約5000円)という、セルビア市民にとっては安くないコンサートチケットの価格も、観客の怒りに拍車をかけたと推測される。直近の2公演の中止が直ちに発表され、その後全日程が中止となった。関係筋によれば、治療に専念するため無期限の活動停止となることが示唆された。

薬物やアルコールは確実に彼女を蝕み、この頃には病的に痩せ、精神が錯乱状態になったままパパラッチされ追いかけ回された疲労から泣いている写真をパパラッチされ、全てを失った浮浪者の女のような姿のエイミーは世界に衝撃を与えた。

2011年7月23日、ロンドンのカムデンにある自宅で遺体で発見された。死去直前にドラッグとアルコールを過剰摂取していたという証言はあったが、死後数日の時点で警察から死因の発表はなく、正式な死因は不明のままである。

2013年1月8日、当初の検視官に資格の問題があったために、再度行われた検死の結果が発表された。死因はアルコール中毒で、一般に致死量とされる程度の量を摂取していた。遺体が発見された寝室の床の上には2本の空のウォッカの瓶があり、本人自ら飲んだもので事件性はないという。

生前最後に発表された作品は、2010年11月に発売されたクインシー・ジョーンズのトリビュート・アルバム『Q: Soul Bossa Nostra』に収録の「It's My Party」であった。また、トニー・ベネットのアルバム『Duets II』にも参加し、ジャズのスタンダード・ナンバー「Body and Soul」をデュエットしている。

2015年、監督アシフ・カパディアによる長編ドキュメンタリー映画『AMY エイミー』が公開され、第88回アカデミー賞で長編ドキュメンタリー賞を受賞。