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ロビン・トロワー( Robin Trower )



アルバムリスト
歌手の紹介


ロビン・トロワー(Robin Trower, 1945年3月9日 - )はイギリスのブルース、ロック・ギタリスト。代表的な「ジミヘン・フォロワー」の一人である。ジミ・ヘンドリックス的な曲作りと、良く似た粘り気のあるブルージーなサウンドから、「ジミの再来」と評された。

活動初期からプロコル・ハルム

少年時代、B.B.キング、オーティス・ラッシュらブルースギタリストに影響を受けたトロワーは、1963年、ゲイリー・ブルッカーらと4人編成のR&Bバンド、パラマウンツで本格的な音楽活動を始める。ローリング・ストーンズはパラマウンツを「イングランド最高のR&Bバンド」と評し、前座として起用した。その後、パラマウンツは6枚のシングル盤をリリースしつつ、ビートルズの前座や、サンディ・ショウ、クリス・アンドリュースなどのバックバンドを務める。1966年11月、パラマウンツを脱退したトロワーは、ジャムというブルース・トリオを始めるが短命に終わる。

1967年7月、デビューシングル「青い影」を大ヒットさせたばかりのプロコル・ハルムが分裂し、リーダー格であった元パラマウンツのゲイリー・ブルッカーの誘いでプロコル・ハルムに参加する。トロワーはプロコル・ハルムで順調にキャリアを重ねるが、1970年、ドイツでジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスと共演した際に、ジミのプレイに感銘を受け、ジミの死後、1971年にリリースされた『ブロークン・バリケーズ』において、「ジミに捧げる歌」として「ソング・フォー・ア・ドリーマー」を発表し、ギターもジミが主に使用したフェンダー・ストラトキャスターに替えるなどジミからの影響は強まる。他のメンバーとの音楽性の相違も大きくなり、1971年7月、トロワーはプロコル・ハルムを脱退。元ストーン・ザ・クロウズのベーシスト、ジェイムズ・デュワーらとプロジェクト的バンド、ジュードを始めるが不調に終わる。トロワーとデュワーは、元ジョー・ジャマー・バンドのドラマー、レグ・イサドアを誘い、トロワーは自身のソロ・プロジェクトとしてのバンドを結成する事となる。
ロビン・トロワー・バンド

(註:ロビン・トロワー・バンドはトロワーのソロ・プロジェクトの通称であり、アルバム名義は「ロビン・トロワー」である)

1973年2月、トロワーらは最初のライヴをウィーンで行い、続いて3月にデビューアルバム『ロビン・トロワー』をリリース。このアルバムはセールス的にふるわなかった(全米チャート106位)ものの、翌'74年にリリースされたセカンドアルバム『魂のギター』がアメリカで大ヒットし(全米チャート7位、ゴールド・ディスク獲得)、更に米ギター・マガジン誌において、'74年度ベスト・ギター・アルバムに選ばれるなど、アメリカで高い人気を得る。トロワーは、このアルバムの成功は、レコーディングエンジニア、ジェフ・エメリック(ビートルズのレコーディングエンジニアとして有名)の功績が大きかったと述べている(ジェフ・エメリック#ビートルズ以降も参照)。

1975年、ドラムを元スライ&ザ・ファミリー・ストーンのビル・ローダンに替え、『遥かなる大地』をリリース。アメリカでの人気(全米チャート5位、ゴールド・ディスク獲得)のみならず、本国イギリスでもチャートイン。日本での評判も高まり、トロワーのギタリストとしての評価は固まる。以上、3枚のアルバムは、元プロコル・ハルムのマシュー・フィッシャーがプロデュースした。更に1976年、'75年のヨーロッパツアーにおけるストックホルムでのライヴ盤『ロビン・トロワー・ライヴ!』により、人気・評価ともに絶頂期をむかえ、つづく全米ツアーは史上最大のP.A.システムを使うという大がかりなものとなった。

1976年9月にリリースされた『ロング・ミスティ・デイズ』は、サウンドがポップ寄りに変化し、トロワーにとって唯一とも言えるシングルヒット「カレドニア」(全米シングルチャート82位)を出す。その後、元スライ&ザ・ファミリー・ストーンのベース、ラスティ・アレンを加え、ジェイムズ・デュワーはボーカルのみという編成でツアーを行い、1977年1月には初来日する。4人編成となったバンドは、ボビー・ウーマックらソウルアーティストを手がけていたドン・ディヴィスをプロデューサーに迎え、1977年『白昼の幻想』、1978年『キャラバン・トゥ・ミッドナイト』と、より米国マーケットを狙ったアルバムをリリースする。トロワーは後に「ジミの影響から逃れようとしていた」とも述べている。ラスティ・アレンが脱退し、トリオ編成に戻ったバンドは、1979年、原点回帰的な『地獄脱出』をリリースするがセールスは伸びず、翌'80年5月、トロワーは7年間にわたった、ほぼ同一メンバーによるソロ・プロジェクトを終了する。

ジャック・ブルースとのユニット以降

1981年、ドラムのビル・ローダンのみ残し、ジャック・ブルースとのトリオを組む。同年、バンド・アンサンブル重視の『B.L.T.』。翌'82年には、ドラムをロビン・トロワー・バンドのオリジナル・メンバー、レグ・イサドアに替え『トゥルース』をリリースする。ファンクからハードロックまでと多彩であったジャック・ブルースとの共演はアルバム2枚で終了し、再びジェイムズ・デュワーと組み、1983年、『虹色の戦慄』をリリースする。

その後は、アルバムリリースの場をインディーズ・レーベルにも移し、1994年には自らのレーベル、V12 Recordsを立ち上げている。1991年のプロコル・ハルム再結成に参加したのち、1990年代のブライアン・フェリーのアルバム2枚に共同プロデューサー及びギタリストとして、続く3枚のアルバムにギタリストとして参加し、フェリーの来日公演にも同行した。近年ではV12 Recordsから散発的にアルバムをリリースしながら、2008年には欧米ツアー行うなど、ソロ初期の曲も含めたライヴ活動を続けている。