- アルバムリスト
- 歌手の紹介
リッチー・サンボラ(Richie Sambora, 1959年7月11日 - )は、アメリカ合衆国ニュージャージー州出身のミュージシャン。ロックバンド・ボン・ジョヴィでギターを担当していた。
人物
ポーランド系の父アダムとイタリア/ポーランド系の母ジョアン・シェニラとの間に生まれる。父方のルーツはクラクフ。ニュージャージー州ウッドブリッジの町で育つ。ギターを始めたのは14歳の時で、ジミ・ヘンドリックスの死に触発されてのことである。
ボン・ジョヴィの前身バンドであったワイルド・ワンズのライヴを見て、当時のギタリストであったデイヴ・セイボ(現スキッド・ロウ)の演奏に憤慨し、終演後楽屋に乗り込み、「こんなギタリストより俺の方が上手い」とジョンらメンバーの前で啖呵を切ったことが加入のきっかけとなった。後日正式にオーディションに参加し、デイヴの代わりにギタリストとして加入することとなった。
ソロとしては1991年、アルバム『ストレンジャー・イン・ディス・タウン』でデビュー。ボン・ジョヴィのライヴにおいてコーラスを披露していたが、ここであらためてソウルフルな歌を披露した。「Mr.Bluesman」という曲は、彼が尊敬してやまないエリック・クラプトンに憧れてギタリストを夢見る少年(リッチー本人)のことを歌っているが、エリック・クラプトン本人がその曲に感動し、ゲストミュージシャンとして参加している。
1994年、アリー・シーディやシェールなどとの交際暦を経て、ヘザー・ロックリアと結婚し一女をもうけるも、マリブの自宅の近所に住む女優で、妻のヘザーの親友だったデニス・リチャーズが、彼女の夫で人気俳優チャーリー・シーンの浮気の激しさに悩んだ末に友人のリッチーに相談を持ちかけたことがきっかけで不倫関係になってしまい、その事実を知り激怒した妻のヘザーがリッチーに三行半を突きつけ2007年に離婚。その後リッチーとデニスは「全米で一番憎まれているカップル」とゴシップ誌に認定されるなど、世間から激しくバッシングを受けてしまったが1年後に破局した。
デニスとの破局後からアルコール依存症の症状が重くなり、2007年にはついにリハビリ施設に入所。2008年春に飲酒運転で逮捕されたが、そのときに酔っ払った状態で11歳の娘を自動車に同乗させていたことが問題になり、父親としての自覚が足りないということで、再び世間からバッシングを受ける羽目になった。2011年4月には再びリハビリ施設に入ることとなり、欧米で予定していたツアーへ参加できなくなる事態となった。その後6月にクロアチアのザグレブ公演よりツアーに合流。しかし、2013年のビコーズ・ウィー・キャンツアーの開始一月目から「家庭上の都合」を理由に再び離脱し、それ以降も不参加の状態が続いた。2014年11月、ジョンがショービズ411のインタビューにて、リッチーが脱退したことを明かしたが、バンド側からの正式な発表はない。
個人的な日本との繋がりでは、1997年、反町隆史のアーティストデビューシングル「Forever」に参加。同曲は、反町隆史の主演ドラマ「ビーチボーイズ」の主題歌として使用され、フジテレビ系列で放映された。 ディスコグラフィー
ストレンジャー・イン・ディス・タウン - Stranger In This Town(1991年)
デヴィッド・ブライアン、ティコ・トーレス(以上ボン・ジョヴィ)、トニー・レヴィン、エリック・クラプトン、グレッグ・フィリンゲインズ等が参加。
アンディスカヴァード・ソウル - Undiscovered Soul(1997年)
ドン・ウォズ、ビリー・プレストン等が参加。
レッスンズ - LESSONS(2000年)
リッチーが過去に在籍していたバンド「メッセージ」のアルバム。
シャーク・フレンジー・フィーチャリング・ブルース・フォスター&アーリー・リッチー・サンボラ - Shark Frenzy (2004年)
リッチーが18歳の頃の未発表音源集。
アフターマス・オブ・ザ・ローダウン - Aftermath of the Lowdown(2012年)
約15年ぶりとなるソロ・アルバム。ロジャー・ジョセフ・マニング・ジュニア等が参加。
|