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ペスティレンス( Pestilence )



アルバムリスト
歌手の紹介


ペスティレンス (Pestilence)は、オランダ・エンスヘーデのデスメタルバンド。オランダのバンドであるが、これまでバンドにはオランダ国外の出身者が多く在籍していた。特に2016年の再結成後は全メンバーの出身国が異なるという多国籍バンドとなっている。

略歴

1986年にオランダでパトリック・マメリ (G, Vo, B)と、ドイツ人ギタリストのランディ・マインハルト (G)の2名を中心に結成。当時は、アメリカ合衆国やドイツのスラッシュメタルから影響を受けていた。結成後、ドラマーにマルコ・フォディス (Ds)が加入。1987年に1stデモ『Dysentery』をリリース。1stデモリリース後、マルティン・ファン・ドルネン (Vo, B)が加入、パトリック・マメリがギター専任になる。1987年中に2ndデモ『The Penance』をリリース。同デモのベースパートは、パトリック・マメリが担当している。このデモがきっかけとなり、インディペンデントレーベルのロードランナー・レコードと契約。1988年に1stアルバム『Malleus Maleficarum』をリリースしデビューした。同アルバムは、スラッシュメタルを軸にデスメタルの要素を加えたもので、スラッシュメタル色が非常に強いものであった。同アルバムについて、中心人物のパトリック・マメリは、「デビューアルバムは実験だった。(中略)あれはそんなにいい出来じゃなかったと思う」とインタビューで答えている。

1stアルバムリリース後、バンド活動への熱意が無くなったとの理由で結成メンバーのランディ・マインハルトが解雇される。バンドは後任探しを始めるが、ランディと新たにサクロサンクト (Sacrosanct)というスラッシュメタルバンドを結成したマルコ・フォディスが続いて脱退。マルコは短期間でバンドに復帰したが、この前後にマルティン・ファン・ドルネンが脱退。これに対して、バス・ドーイイェス (B)がセッションで参加したが、マルティンが数か月で復帰したためバスは短期間でバンドを離れている。脱退と復帰が相次いだものの、最終的にバンドメンバーで入れ替わったのはギタリストのみで、ギタリストにはパトリック・ウターウィック (G)が新たに加入している。1989年に、2ndアルバム『Consuming Impulse』をリリース。同アルバムから、音楽性をデスメタルへと舵を切った。特に、一部バッキングにキーボードを用いるなど、当時としては新しい試みも行っている。2ndアルバムについて、パトリック・マメリは、デスやオビチュアリーに比肩するアルバムになったと思うと語っている。同アルバムリリース後、マルティン・ファン・ドルネンが正式に脱退。マルティンは、Asphyxというデスメタルバンドへ移籍した。マルティンの後任には、カナダ人ベーシストのニック・サジアス (B)が加入する。新体制で3rdアルバムの作成に取り掛かるも、ニックがバンドになじめなかったためレコーディング前に脱退。このため、当時シニックで活動していたトニー・チョイ (B)をヘルプを依頼し、3rdアルバムを録音した。ボーカルはパトリック・マメリが兼任することになった。1991年に3rdアルバム『Testimony of the Ancients』をリリース。同アルバムでは、前作の方向性をより押し進め、激しいデスメタルにキーボードを導入したドラマティックな楽曲が増えた。また3rdアルバムリリース後には、マルヴォレント・クリエイションらとのツアーも経験している。一時、ジャック・ドッド (B)というベーシストも在籍したが、結局短期間で脱退。1993年1月に、ベーシストにイェロン・ポール・テーシュリン (Fretless B)が加入しベーシストがようやく定まる。同年に4thアルバム『Spheres』をリリースした。4thアルバムでは、これまでのデスメタル路線を残しつつも音楽性を変化させ、プログレッシヴな音楽性となった。この音楽性の変化は、バンドリーダーのパトリック・マメリが当時ジャズ・フュージョンにかなり入れ込んでおり、アルバムにおいてはデスメタルとジャス・フュージョンとを組み合わせた音楽を目指したためであった。同アルバムのリリースに併せて、ファー・イースト・メタル・シンジケートから3rdアルバム『Testimony of the Ancients』と4thアルバム『Spheres』の日本盤がリリースされた。それぞれ『テスティモニー・オヴ・ジ・エインシェンツ~古人の証言~』、『スフィアーズ~存在の証明~』という邦題が付けられた。1994年にバンドは解散、パトリック・マメリも音楽業界から離れ、ミュージシャンからは引退した。

2006年にパトリック・マメリがC-187というグルーヴ・メタル・バンドに参加し、音楽シーンに復帰する。そして、解散から14年が経過した2008年にパトリック・マメリ (Vo, G)により再結成。再結成後、3rdアルバムに参加したトニー・チョイ (B)とダーケインなどで活動するピーター・ウィルドアー (Ds)が加入。マスコット・レコードと契約し、2009年に5thアルバム『Resurrection Macabre』を16年ぶりにリリースした。同アルバムレコーディング後に、解散時のメンバーのパトリック・ウターウィック (G)が復帰しており、同アルバムのメンバー写真に写っている。また、アメリカ合衆国やヨーロッパ、南アメリカへとツアーも敢行した。しかし、ピーター・ウィルドアーとトニー・チョイは短期間でバンドを離れている。ベーシストには、1994年解散時のベーシスト、イェロン・ポール・テーシュリン (Fretless B)が復帰。また、ドラマーにはユマ・ファン・エーケレン (Ds)が加入し、2011年に6thアルバム『Doctrine』をリリース。2012年に入って、イェロン・ポール・テーシュリンとユマ・ファン・エーケレンが脱退。ネクロファジストなどで活動するシュテファン・フィンマース (B)とヘイト・エターナルやディヴァイン・ヘレシーで活動し、モービッド・エンジェルにもセッション参加しているティム・イェング (Ds)が加入するが、両名とも短期間で脱退。2012年にデイヴィッド・ヘイリー (Ds)、2013年にゲオルク・マイヤー (B)が加入した。大手ヘヴィメタルレーベルのキャンドルライト・レコードに移籍し、同年に7thアルバム『Obsideo』をリリースした。

2014年7月、活動停止を発表。活動停止の理由は、中心人物のパトリック・マメリが、デス・ジャズ・フュージョンを標榜する新プロジェクト・Necromorphに注力するため。このプロジェクトでは、ジャズ・フュージョンとペスティレンスよりもよりブルータルなデスメタルとの融合を目指している。

2016年10月に活動再開を発表。中心人物のパトリック・マメリ以外のメンバーは総入れ替えとなっており、サンティアゴ・ドブレス (Lead G)、トニー・チョイ (B)、セプティミウ・ハルシャン (Ds)がメンバーである。2017年1月半ば、トニー・チョイの脱退とアラン・ゴールドスタイン (B)の加入が発表された。しかし、アランは加入から3か月もたたない4月に脱退が発表された。脱退の原因は、ビジネス面での相違があったため。アランの脱退から数日後、新ベーシストとしてパラドックスのベーシスト、ティレン・ハドラップ (B)の加入が発表された。また、同月中にはオランダのハンマーハート・レコードと契約を結んだことを発表した。