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アート・リンゼイ( Arto Lindsay )



アルバムリスト
歌手の紹介


アート・リンゼイ(Arto Lindsay、1953年5月28日 - )は、アメリカ出身のギタリスト、歌手、プロデューサー、作曲家。

経歴

アメリカで生まれるが、父の仕事の都合で3歳の頃にブラジルに引っ越し、17歳まで過ごすことになる。ブラジルの生活の中で経験したブラジル音楽に非常に影響を受けたという。後に結成する事になるアンビシャス・ラヴァーズ等でもブラジル音楽の影響を受けている事が分かる。
DNA

1977年にニューヨークでイクエ・モリ、ロビン・クラッチフィールドらとともにDNAを結成、やがてニューヨーク・パンクを代表するバンドの一つとなる。後にロビンが音楽性の違いから脱退し、ベーシストとしてティム・ライトが加入する。1978年にブライアン・イーノによるプロデュースのもとで制作された前衛的なパンク・バンドのコンピレーション・アルバム『ノー・ニューヨーク』に参加。これを契機として、アルバムに参加したDNAやジェームス・チャンス・アンド・ザ・コントーションズ (James Chance and the Contortions) 、ティーンエイジ・ジーザス・アンド・ザ・ジャークス (Teenage Jesus & the Jerks) 、マーズらによって代表されるニューヨークの前衛的なロック・シーンは、ノー・ウェーブとして広く知られることになる。

DNAの音楽性はノー・ウェーブ・ムーブメントにおいても前衛的存在であった。アート・リンゼイは11本だけ弦を張った12弦ギターにまったくチューニングを施さずに演奏し、DNA結成までドラムの演奏経験がまったくなかったドラムのイクエ・モリはトムトムの連打などの無機質で機械的な変拍子のリズムを生み出した。さらに、二人を支えるティム・ライトのベースも不気味に歪んだサウンドであった。
The Lounge Lizards

1978年、DNAでの表現とは別にジョン・ルーリー率いるジャズ・コンボラウンジ・リザーズに参加。「フェイク・ジャズ」と称される様に1950年代のジャズを表現した「ノー・ウエーブ」の一種。また同時期にラウンジ・リザーズに参加していたドラマーのアントン・フィアの音楽プロジェクトゴールデン・パロミノス、ジョン・ゾーンのLOCUS SOLUSなどに参加した。
Ambitious Lovers

最初のソロ・アルバムとなる「ENVY」をリリース後、キーボード奏者ピーター・シェラーとアンビシャス・ラヴァーズを結成。録音にはアントン・フィア、ジョン・ゾーンなどのミュージシャン達が参加し、ポップ・ミュージックにおけるニューヨーク・アンダーグラウンド・シーンのミュージシャンをオーヴァーグラウンドへ牽引する存在となる。音楽性でもDNAがノイズ・パンク、ラウンジリザーズはジャズであったがこのアンビシャス・ラヴァーズに於いてアートは自身のルーツであるブラジル音楽の表現を始める。当初は七つの大罪をモチーフにアルバムを発表する予定で、結局3枚のアルバム「Envy」、「Greed」、「Lust」の発表で活動を休止(オリジナルアルバムとは別にサウンドトラック盤ピーター&アート名義で1枚発表している)している。
ソロ

1980年代後半からプロデューサーとしてカエターノ・ヴェローゾやガル・コスタらトロピカリズモのアーティストをバック・アップし気鋭のカルニーニョス・ブラウンとともにマリーザ・モンチに携わるなどブラジル音楽の流れを読み取り、ギタリスト・コンポーザーとしてのミュージシャンとしてキップ・ハンラハンのアメリカン・クラーヴェ、ローリー・アンダーソン、デヴィッド・バーンや坂本龍一、テイ・トウワ、大貫妙子、GEISHA GIRLSのレコーディングに参加する他、アンビシャス・ラヴァーズ以降は個人名義のアルバムをアンドレス・レヴィン、ヴィニシャス・カンタリア、メルヴィン・ギブス、カシン、コーネリアスらとの共同作曲で発表している。

坂本龍一が1985年頃のNHK-FMの番組「サウンド・ストリート」にて語ったところによると、アート・リンゼイは驚くべき事に譜面も読めなければコードもよく分からないという。それでも優れた音楽的センスのみを頼りにミュージシャンとしての活動はおろか、プロデュース業もこなしてしまうところに彼の才能の奥深さがあるという。